先日、ブログ記事内で
「サラリーマンは残念だ」
というようなニュアンスの文章を書いてコメントで
「サラリーマンは残念なんですか?」
というコメントをいただきました。
社会人として、確かに不適切なブログ記事だなぁ・・・
と思いました。
「サラリーマンは残念だ」
という言葉の裏に
「私は独立しているから良かった」
という、何かそんな意味は込めていないのですが、優越感に浸っている嫌な意味合いに
感じるとも思いました。
でも私自身がサラリーマンをしていたときに不満があったのは確かです。
「なぜだろう・・・」
と考えていたときに、
自由がないからではないか?
と思うようになりました。
実際にサラリーマンで働いていたときにはこんなことがありました。
「○○をきちんとしてくれよ」
私自身それはどうなんだろう・・・もっと違うほうが良いのになぁ・・・
と感じていました。方法を上司からの命令で限定されて自由を奪われていました。
そしてその通りに行なっても結果が出なかったときに
「お前は給料もらっている立場でしょ。なにやってんのよ」
と怒られる。
自由が奪われると同時に、上手くいかないと怒られる。
「なんて理不尽なんだ。」
とよく感じたものです。
「忠誠に尽くす」
というのが人間の美学として扱われることがあります。
でもそれは経営者の
「夢をみさせるコミュニケーションではないか?」
と感じるようになりました。
すべての社長がそうではないと思いますが
社長の都合の良いような言葉かなぁと思います。
私の父はスーパーの店員を長らく続けていました。
父の父もそこの社長にお世話になり、
「忠誠に尽くすのが良い、そうすれば認めてもらえるだろうし、頑張れる」
と一生懸命頑張っていました。
でも、会社が倒産したとたん、従業員へのあいさつも何もなしに
「はい、終わりです」
で片付けられたそうです。
それも社長から従業員に一言もなくです。
で
父は私に
「お前はお前の思うとおりにやらないとあかんぞ」
とアドバイスをくれました。
人は一人ひとり
自分の自由に選択して人生を過ごしていきたいと思う。
と思うのです。
昔はお国のために
と戦争をしたりしていましたが
今は国のために死ねる
という人がいるでしょうか?
自分の決めた職業に就きたいし
自分の決めた相手と結婚したい
子供も自分が欲しいと思うから産むし
家だって自分が住みたい家にすむ。
趣味だって自分が心から好きだなぁと思うものをするし
食べ物だって好きなものを食べたい。
仕事だってそうじゃないかな・・・
と思うのです。
自分が
これをすれば業績が上がるのではないか・・・
と思っていることをしたくても、上司から
それはダメだ
と納得させられぬまま、仕事をさせられる。(上司全員がそうとは限りませんが、極端な例として)
そして業績が上がらなければ、給料が下がったり、リストラになったり、
理不尽な思いをさせられたりする。
そこにサラリーマンの残念なところがあるのではないかなぁと思うのです。
やる気が削がれ、生き生きと生きれない。
自分から仕事をやっているのではなく、やらされているという感覚・・・
これが心の病をも引き起こしている原因の一つではないかなぁと思っています。
中国の思想書である荘子の中に、 沢の雉(キジ)という話があります。
沢辺の野生の雉(キジ)は十歩歩いてわずかの餌をとり、百歩歩いてわずかな水に
ありつけるが、それでも籠(かご)の中で飼われることを求めない。
籠の中は餌に困ることはないが、心が楽しくないからだ。
石井裕之さんが主催する
沢雉会のホームページから引用させていただいた文です。
自分がやりたいことがあるのに、安定を求めて自分を抑えるよりも
傷ついたり、損したりしても自分の思う道を進んでみる。
冒険しながら、チャレンジしながら、失敗しながら、傷つきながら
自分自身で答えを創っていく・・・(沢雉会語録より引用)
これは私自身も理想の生き方だよなぁ
と感じました。
現在、
沢雉会のホームページからメールアドレスを登録すると
石井裕之さんが話す
「自由ということ」
の音声ファイルがもらえます。
私はその音声ファイルを聞いて
「そうなんだよなぁ・・・」
と共感でき、こういう生き方がしてみたいと思いました。
会員になるには有料ですが、
「自由ということ」の音声ファイルは無料ですので
よければメールアドレスを登録して
聞いてみてください。
沢雉会のホームページへ