今日はデイサービスセンターに機能訓練に行ってきました。
先日もブログに書きましたが、実はスポーツ選手を復帰させることより
お年寄りの生活を良いほうに変えるほうが、はるかに難しいのです。
老いに逆行することなので、当然のことなのですが、今日は利用者さんと
こんなやり取りがありました。
利用者さん「先生、私、治りますかね?」
実はこの方、脊髄の障害で背骨にメスをいれられていて、首を腰に手術痕が
ありました。
利用者さん「手も足もしびれて、夜も寝られないんです。」
「病院の先生は聞いても何にも答えてくれないんです。」
正直なところ、神経の癒着か何かで、シビレは治らないと思われる症例でした。
私も何て答えてあげていいのか迷いました。
でも、自分で「ダメだ」と思っている人に客観的事実(この場合脊髄の手術のこと)
を押し付け、ダメ押しを言ってあげては、いけないと思い、こう答えました。
私「治らないかもしれない。でもきっと良くなりますよ[emoji:i-179]」
「良くなることを期待してますし、僕は良くなると信じてますよ[emoji:i-179]」
利用者さんは少し顔が楽そうになりました。
利用者さんはお医者さんにあきらめの言葉をかけられていたのだと思います。
事実は「あきらめ」で合っていると思います。
おそらくMRI検査でも神経癒着の画像が出ているのでしょう。
でも考えてみると、
「明日もどうせダメだ・・・あきらめて過ごそう。」
と過ごすのと
「きっと良くなる。良くなったら何をしよう。」
と過ごすのでは、その人の生活の質が全く違うものになる
と思うのです。
そして患者さんの考えを後者の考え方に持っていってあげるのも医療従事者の
役割ではないでしょうか。
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